ポルノ表現の規制はなぜいけないのか?

この番組ではみんなのリクエストをお待ちしています。というわけで今回はある方からいただいた「なぜ、キモヲタはポルノ表現の規制はしてはいけない、と皆言い張るの?」というテーマで記事を書きたいと思います

 いやー、女性の性的消費、つまりポルノ作品を規制しろという人権団体などの声が近年大きくなってますよねえ。東京五輪を前に、世界中から日本の街が見られるのも相まって、その辺りの話題この夏は例年より騒々しい日が続くはずです。それにしても、僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行ったって言うのに、そんなに淋しいこと言うなよって感じだって思いますね。幸せについて本気出して考えてみたらいつでも同じところに行き着くのに、個人的主観なんかでもって表現を君の手で切り裂いていくなんて無理です。だから僕は「表現規制反対!」という意見ですし、その意見に対してハンドルもないけれど曲がるつもりもないです。

 ではなぜ、表現規制はしないほうがいいのか。例えば「この作品はエロが多い!ポルノだ!」って苦情を受けて、何かしらかのポルノ漫画やポルノ雑誌を規制する法律を作るとじゃないですか?そうなってくると「何をポルノとするか?」という点が問題になりますよね?そこで例えば「女性の裸を含む表現物」をポルノと定義するとするじゃないですか?一見するとポルノ作品に対して、君の手で鍵をかけてもためらいなどないでしょうから、ポルノの規制も錠の落ちる音で終わらせているように感じると思います。しかし、ポルノでなくても女性の裸が多い表現物というのはあります。例えば、空を覆う巨大な広告塔には美人が意味ありげな化粧をした、紅い紅い口紅の広告があります。このような女性向けの化粧品広告すら「女性の裸だから」と規制されなくてはならなくなります。さらに、ジェンダーフリーの考え方が世界中で加速している昨今において、このままのスピードで世界が回ったら、「女性の」裸だけが規制されるのはおかしい、という言説を唱える男性が出てくる可能性があります。さらに「裸」という言葉の定義も考えなくてはなりません。水着ならポルノじゃないんですか?下着ならポルノじゃないんですか?じゃあ、男女がともに下着を着けていればSEXするシーンがあってもポルノじゃないんですか?…というわけで、あらゆる表現物に対してルールがいつまでも曖昧なまま規制をかけるのは大変難しいことです。そうして、多くの表現規制表現者の事をザァザァと邪魔をしてることで居場所をかき消してると、最終的にほとんどの表現者が規制に触れることを恐れ、萎縮するので、寂しい…大丈夫…寂しい…。もしこれが戯曲ならなんてひどいストーリーだろう、進むことも戻ることもできずに、ただ表現物が潰されていくのですから…。

 というわけで、表現規制はひとたびかけるとブレーキが軋んでしまう。ブレーキが軋むなら止まるのを諦めて、という他ないですが、止まらないとなると表現規制の波はあらゆる表現に対して押し寄せてきます。表現物と無関係とな人間なんていません。あなたに会えたそれだけで良かった、世界に光が満ちた。そう思う表現物、つまり漫画なり小説なり音楽なり映画なりがあなたにもあるはずです。しかし、それらが規制されてしまうことになるかもしれないのです。というわけで、ポルノ表現を規制することで健全な表現物のみが溢れる社会を作ることは無理なのです。

 少しは参考になったかな?ラジオネーム恋するウサギちゃん、そして世界中で叶わぬ恋にお悩みの方。もし参考になったなら冷たい水をください、できたら愛してください。

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

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