低俗すぎるテレビ番組はナントカならないのか

どうも、オルソンです。

 

 

 

このたび、私はあるテレビ番組を見ていた。そのときのテレビの内容があまりにも地獄絵図で凄惨たるものであったため、これははてなブログを通して声を上げねばならないと反射的かつ瞬間的に思い、この記事を書いている。

 

その番組は日曜日の夜22時ごろに放送されている番組のようである。その番組の企画は「俺の旨すぎメシ語り王」というもの。男性芸人が若い女性タレントに行きつけの店を勧め、より美味しそうだと思った方の店に行くという内容である。若い女性は無知蒙昧であろうという前提に立った中年男性の傲慢さが滲み出た企画であると同時に、女性を景品扱いするという女性へのリスペクトのなさには見ているこっちが恥ずかしくなるほどの企画である。また、人の嗜好である「行きつけの店」に優劣をつける姿勢や、その苦しみを女性タレントに押し付けるという点でも極めて悪質な企画でもある。

 

さらに、プレゼンに負けた芸人への罰は「プレゼンした芸人本人が断りの電話をかける」というもの。芸人同士で行われる罰ゲームに一般人を巻き込むタチの悪さも目立つと同時に、先述の「店に優劣をつける女性タレント」の悪質さ*1も際立つ罰であり、こちらも見ていて身の毛のよだつ思いである。

 

また、プレゼンに勝った中年(←ここ重要)男性芸人らは、女性タレントと2人きりでその店へ向かってご飯を食べる。このとき、自分の好きなご飯を語りながら

女性タレントに食べさせる姿はさながら、高く売れないかを想像しながら家畜を肥育する牧場の大地主のようであり、本当に目も当てられない。実際、「友達いないでしょ」というトークテーマや、「お酢なんか女性好きだから」というキンタマのような中年男性からの決めつけ、さらに女性タレントに「キノコの薬膳鍋」を振る舞うというセクハラなどは本当に目も当てられない。キノコで薬って、本当にセクハラとしか思えない。現役アイドルが細長く巻いた焼き肉を食べながら悶えているシーンもフェラチオを放送しているようなもので、本当に人としてどうかしていると言わざるを得ない。

 

 

ここまでなら、「嫌なら見るな」的な話かと思うが、本題はここからである。というのは、この番組のタイトルが「くりぃむナンタラ」だったことである。「くりぃむナンタラ」といえば、「くりぃむナンチャラ」などから続く、くりぃむしちゅー冠番組であり、知的好奇心をくすぐられる、レベルの高い教養番組だったはずである。

 

かつての、「くりぃむナンタラ」はアハ体験のように脳をフル活用させて閃きと気づきの快感を与えてくれたビンカン選手権を筆頭に、「人は一人では生きていけない、成長できない」ということから協力・協調の大切さを説教臭くなく説いた「型を破りたい相方たち」さらには女性の服装として定着しているミニスカートをあえて男性が着用することで、ミニスカートを履くことによって日々女性が抱えるリスクを男女問わず分かりやすく説いた「ミニスカート陸上」など、笑いながらも大きな学びを得られる企画の多い番組だったはずである。

 

さらに、この傾向は「くりぃむナンチャラ」の時から同様だったようで、冤罪が生まれるまでのメカニズムを描いたドキュメント映画のような企画「相方、今何してる?」などを行なっていたほか、「アイドル座付き作家選手権」から始まり、ナンタラでも「相方から言えないことを占い師に言ってもらう」という風に変化した人間インストールも、「人は何を言われるかという内容の正しさより誰に言われるかで判断してしまう」という、菊池寛氏が著した短編小説「鎧」でも描かれていた見かけや肩書きに依存してしまう人間の性を描いた実験企画であった。

 

ほかにも、「評論など後付けで良いようにも悪いようにも評論する側の加減で言うことができる」ということもくりぃむナンタラの「次の審査員は俺だ-1グランプリ」で学ばせていただいたものだ。このような、知的で面白かった「くりぃむナンタラ」は見る影もなくなり、現在はアップデートされていない価値観に基づいた、欧米圏の先進的文化にも遅れをとるような低俗かつ浅薄な番組に成り下がってしまったことに驚きを隠せない。そんな醜悪な番組は即刻やめるべきであると同時に、くりぃむナンタラの在るべき姿はそんな姿ではないはずであると思ってやまない。

 

*1:もちろん、企画が悪質なのであって女性タレントは一つも悪くない!!!!