どうも、オルソンです。またの名を、ブログ大バズり男です。
オルソンの年2回の長期休みである、GWとお盆である。今年のGWは緊急事態宣言も出なかったので、泊まり旅行に行くことにした。五輪がなかったから緊急事態宣言がなかったのかな!!!な!!!なあって!!!!!!
ということで、大バズりしたことないでお馴染み、紀行文です。どうぞ。
- 4月30日
この日は、まず新幹線に乗るべく、東京へ行った。岡山へ向かうためだ。朝早くの東京駅では、駅弁屋・祭が開いているのがありがたい限り。ここで、買った駅弁は品川貝づくし。ラヴィットでニューヨーク屋敷がプレゼンして、貝の種類数を間違えたやつである。
シジミの山椒煮はシジミと山椒が混ざってメシや酒を進めるブースト能力が高くて大好きだが、オーソドックスなホタテの照り焼きも丁寧なつくりを感じさせて美味しい。これ、駅弁で一番好きになっちゃったな。オルソンもオルソンブログもラヴィット!に活かされっぱなしでございます。ありがとうラヴィット!
これを見て新幹線の車内で飲酒しているとは、新幹線に乗っている人も思わないでしょう。コロナ禍ということもあって、新幹線内での飲酒を不快に思う方もまだまだいるはず。そういった方々の思いをビンカンに汲んで周囲を気遣う。それが旅を楽しくする秘訣なのです。 pic.twitter.com/wNdg1FvE9c
— オルソン (@EF_510_514) 2022年4月29日
あと、俺はビンカン選手権の大ネタと被ったことがあることを一生コスっていく。一生だよ一生。俺はそういう人間だし、一生そういう人間であり続ける。
それと、ブログが大バズりしすぎて、2022年5月第3週のはてなブログ第6位になったことも一生コスっていく。
そんなわけで、駅弁と酒をかっ食らっていながら、岡山へ向けて新幹線は快調に爆走。ちなみに、N700系Aに乗っているので窓際でなくても充電できるのがうれしい限りである。
そうして、新幹線は岡山に到着。伯備線に乗り換え、備中川面で降りる。この駅には伯備線の有名な撮影地がある。だから、私以外に三脚を持った撮り鉄が2人降りたが、その2人と自分以外は誰も降りなかったので、備中川面駅は撮り鉄のために作られた駅なのかもしれません。そんなわけで、三脚を持った人についていくこと10分ちょい。撮った写真がこちら。
振り子式特急381系である。せっかくの振り子式だからアウトカーブで撮ろうとしたが、アウトカーブってのは慣れないねえ…。
これまた、貴重になりつつある、というか瀬戸大橋線用に作られたため、中国地方の線区にしか入っていない213系0番台*1を撮っている間に「無理やり寄せに行くのはやめよう」と考える。
1編成だけだが、国鉄色がリバイバルしているのも特徴。単線なので後追いでも構図が変わり様がないのが良いですね。
ただ、JR各社が個性を出した地域色もまた良いものです。ヘッドマークっていう文化が今や貴重なのよね。実は、後ろ側がパノラマグリーン車という前面展望に改造されたタイプの381系でもある。
このあと、備中川面の横の駅である木ノ川駅に移動し、ストレートな鉄橋の撮影地へ移動したところ…。
3両しか入らんヘボ鉄橋でした!!!哀し。そして、もう一個撮影地の当てがあったが、電車がないようなので、一駅歩くことにした。
途中セブンイレブンがあったので、昼飯のために寄る。「いりこだしの讃岐うどん」という、東日本では売ってなさそうだし見たことないものを購入。麺はちょっとコシが強い気がせんでも…くらいだが、汁は確かに出汁が効いている。ちなみに、そのセブンイレブンでは「小学生以下限定うまい棒つかみどり」というのをやっており、その掲示の横には大量のうまい棒と1本のマジックハンドがあった。小学生以下の子供たちが騙されないことを祈るばかりである。
そんなわけで備中高梁駅付近の撮影地をGoogle Mapで探しながら当てていき到着。
いや、これより引くと踏切系の障害物いっぱい入っちゃうから俺の手持ちレンズじゃ、全然ええ感じの構図にできないんかい!撤退じゃ、撤退!!!
ということで、備中高梁駅を目指して歩き続ける。しかし、正直ここまで手応えがない。なので、行く途中で目をつけていた清音駅の線路沿いを目指す。途中、清音駅の一個前の総社駅で、自動車が橋脚に当たったとかで電車が停止。岡山駅まで行くには吉備線に乗り換えるしかないらしい。ということで、吉備線の気動車に乗ったところ、一駅隣につくまでの間に伯備線が復活。東総社駅が交換駅だったおかげ急いでUターンをかまし、清音駅へ向かう。自動車が橋脚に当たった割にはすぐ復活するとは………少し不安だが、とにかくやくもは撮れるぞ!
113系か115系かわからないが、とにかく黄色い電車も登場。意外とここまで撮っていなかった。………まあ、以前さんざん撮ってるけどな!
先述の通り、瀬戸大橋線用に作られた2扉車の213系。なお、2扉なのでワンマン運転として活躍している。
障害物多めストレートで、国鉄型の振り子式である381系を撮る。振り子式というのは、カーブで車体を傾けることでカーブの多い線区でも高速運転できるようにしたもの。確かに伯備線はカーブが多いので、役目は果たしているだろうが、以前別の振り子式*2に乗りながら酒を飲んだ時に、酒と電車で2乗に酔ったので、振り子式自体が大して定着しなかったのはむべなるかな、といったところである。
井原鉄道IHR355形
井原鉄道は総社駅と広島県の神辺駅を結んでいる鉄道会社。総社駅~清音駅は伯備線と共通区間となっている。第三セクターということで、宝くじの収益から作られた「宝くじ号」が走っている私鉄の一つである。
これにて、岡山での撮影は終了。この後は、関西へ移動。山陽本線の普通電車姫路行に乗って、姫路まで移動する。夕方に岡山を出たので、当然三石~上郡のめちゃくちゃ長い船坂峠を越えるころには綺麗な黄昏時を見せ、姫路につく頃には完全に夜。夜の姫路の町は良い。何がいいって、行ったことある人にしかわからないだろうが、「揖保乃糸」の会社の看板のネオンサインが部分的についたり消えたりしている奴があまりにも「平成」過ぎて良い。
ここ、姫路駅の「えきそば」こそが、今日の夕飯である。姫路駅のえきそばの特徴は、えきそばといいつつ中華麺が使われていることである。これは、腐敗を遅らせるためにかん水を使用しているらしい。なお、汁はそば同様出汁が効いた醤油味である。
私が注文したのは、鶏天トッピングした胡椒チーズそばである。チーズがとろける前に食べればオーソドックスになるぞ!
ちなみに上記の写真だと分かりにくいと思うので、麺のインサートも撮っておきました。ね、黄色いでしょ?
そんな駅そばは、中華麺+和風だしという組み合わせは沖縄そばに近い味だが、沖縄そばよりツルツルッと行ける食感が良い。だからこそ、出汁のさっぱり感と麺のツルツル感をチーズであえて台無しにするのもまたとても良いですね。中華麺なので胡椒も合うし。結構旨かったです。
姫路をあとにし、新快速に乗車し、西宮へ向かう。新快速の爆走っぷりは素晴らしい。クロスシートに座って爆走する新快速で駅をぶっ飛ばし続けていると、「これ特別料金いらんの?マジで?」という背徳感が芽生えてくる。
芦屋で乗り換えて、西宮で降りる。西宮駅から10分くらい歩いた、「快活CLUB西宮店」が、本日の宿である。快活フライドポテトや軟骨からあげを頼んで、缶チューハイを飲んで、通話ブースで大学の同期とzoom飲み会をしてから寝た。
- 5月1日
朝起きて、朝食を食べる。快活CLUBでの朝食を食べることにしたが、どういうわけか、本来あるはずのフライドポテトが無料食べ放題を中止しているらしい。どういうわけだかわかりませんが、とにかく世界平和が一番である。
そんなわけで、生まれて初めてポップアップトースターという奴を使う。漫画でしか見たことないやつの一つですよ。あ、メイドインワリオでも見たことあるか。現物見るとなおのこと思うのは、食パンしか焼けないトースターってちょっと正気の沙汰じゃないですね。でも、以前、「焼き芋メーカー」という焼き芋型のくぼみが入ったホットプレートを見かけたことがあり、その焼き芋メーカーには「トウモロコシも焼けます」と書いてあったので、油揚げとか冷凍のチヂミとかも焼けるのか、知らんけど。
というわけで、ドリンクバー魔法陣を組んで降臨させたトーストがこちらである。ソフトクリームをベットリ塗って食べると美味しい。しっかり腹ごしらえしたところで、快活CLUBをチェックアウト。この日は4日間の旅行のうち、唯一天気予報が雨の日である。実際天気予報を裏切ることないシトシト雨。こんな日は撮り鉄しても仕方ない、ということで、京都に移動し、京都駅のコインロッカーにスーツケースをぶち込み、京都観光に打ち込むことにした。
京都駅を出ると京都タワーがお出迎え。なお、雨なので行かない模様。
このまままっすぐ歩いているだけで東本願寺という寺が現れる。都会と寺社仏閣の融合、これが京都の醍醐味である。
このあと、三十三間堂まで歩くことにした…のだが、歩いている途中に渉成園という庭園を見つける。
渉成園、池も屋敷もあり、綺麗な庭園で非常に感銘を受けた。ところで、この記事書くまで考えもしなかったんですが、渉成園って何て読むんでしょうかね?調べたら出るんですけど、読めもしない庭園で感銘を受けていたというね。読み方は「しょうせいえん」で、先述の東本願寺の飛び地境内という扱いらしい。
そんな渉成園をあとにして、次の目的地へ。この間もずーっと雨に降られているので、途中でカッパを購入する。そして、京都国立博物館に到着。
明治古都館は入れないようなので、外観のみ撮影。
平成新都館に入り、展示を見る。展示内容は「最澄と天台宗のすべて展」なかなかマニアックな展示で、分からないものの方が多かった。館内が暗いからベンチ座ったら居眠りしちったし。だんだん、早起きができなくなってきています。
きれいな噴水もあるので撮影し、撤退。
三十三間堂ですよ、あなた。こち亀で幾度となく見た三十三間堂ですよ、あなた。
三十三間堂の軒下で矢を放ち、長いのはもちろんのこと、ひさしがついているから放物線状に矢を射るとひさしに当たってしまうので、屈強の筋力でまっすぐ射ないと的に届かないことでお馴染みの三十三間堂ですよあなた!
そんな三十三間堂の境内は、庭園も整備されている。やはり、5月の時期はツツジが綺麗か。
三十三間堂の建物の中には、千手観音が千体納められているらしい。ということは、百万手なんですかね。建物内は撮影禁止だったが、百万手の迫力は相当なものだった。さらに、千手観音は一体一体すべてに名前が書いてあるようで、館内には、位置から名前を調べるデータベースまである。
そんな境内には、清浄歓喜団という日本最古の菓子が売られていた。日本最古の菓子!オモコロで見たやつ!と勝手にテンションが上がる。味は、中があんこでゴマが効いているので、そういうあんまんか、アンパンの真ん中に近い。ただ、食感はその2つのどちらでもなく、ゴリッゴリに硬い。なお、値段は手のひらサイズで648円。牛丼屋だったら牛丼大盛にサラダつけれますね。伝統を継承するにもコストがかかるのである。
このあと、清水寺まで歩く。ちなみに、カッパを購入したあたりから格段に雨脚が弱まっており、この頃には雨がやんでいた。
清水寺は歩いている間が楽しい。これは修学旅行では履修できなかった、蒸したての生八つ橋が食べられる店。蒸したての生八つ橋はめちゃくちゃ柔らかくて美味しい。ほかにもキュウリ一本漬け+ごま油などを売っている漬物屋や、ソフトクリーム屋も多くあった。バスガイドさんに「うちが一番安い」とすべての店に言われるから注意するよう言われたのもいい思い出です。
ということで、清水の舞台は修学旅行で履修しているので、無料体験版の部分のみ見て撤退。
無料体験版でも十分良き眺めですね。それではさようなら。
このあとさらに、八坂神社まで足を延ばして寺社仏閣巡りを終了とする。
五重塔……いや、五重であることは間違いないが、「そうだ、京都に行こう」のCMとは無関係だし、方角全然違うし、東海道新幹線が横を通らない五重塔である。名前を調べてみると「八坂の塔」というらしい。しかし、綺麗な塔である。
というわけで、八坂神社に到着。
八坂神社は「祇園祭」が有名な神社で、祇園の総本山にあたるという。
八坂神社を出てすぐのところにあった京都特有の地味な色のファミマを横目に、バス停へ向かう。
京都ではバニラも地味な色で走っている。ちなみに曲は派手でした。高収入〜♪
バスに乗り、本日最後の目的地に向かう。が、このバス、ノロノロと時速10kmくらいでしか進まない。というより、明らかに大型車が入ってはいけないような商店街みたいな道を突き進んでいる。こりゃアカンわ。ということで、途中のバス停で降りて地下鉄に乗り換えることに。しかし、バスを降りた瞬間道は太くなり、私が下りたバスは快調に去っていった。クソーッ!!!騙された!!!
地下鉄に乗って、二条駅を目指し、そこで山陰本線に乗り換える。二条駅から二駅、梅小路京都西駅で降りる。そして、目的地は………
京都鉄道博物館である。結局これよ。
博物館入るとすぐに、SL、湘南窓80系、0系新幹線がお出迎え。往年の国鉄を支えた列車である。
0系新幹線は中にも入れる。この写真は食堂車である。名探偵コナン4巻の東海道新幹線が出てくる回では「2階建てグリーン車」と「食堂車」が重要な伏線となっている回があったんですが、どれほど通用するのやら…。
なお、入れても座れない電車が多いのは少し寂しい。これは0系の座席。
103系大阪環状線。これも、1963年から1984年まで製造された、まさに往年の国鉄を支えた通勤型電車………だが、大阪環状線は2017年まで103系が走っていた路線だったのもまた有名な話である。
トワイライトエクスプレス。2015年の北海道新幹線開通にともない廃止されてしまった寝台特急。全席個室の豪華車両であると同時に、大阪~札幌を結ぶ日本一の長距離列車でもあった。
北斗星もそうだったが、トワイライトエクスプレスはなぜか食堂車のみが485系の改造車だったので、食堂車だけ屋根の形が違いましたね。いやー、懐かしい。
梅小路運転区が丸見えで、はるかも展示車両みたいになっていたり、新幹線や東海道線の多種多様な車両が通過していくのも嬉しい。
SLが石炭を火室に送り込んで蒸気の力で動いて………という仕組みを説明してくれるのだが、足でペダルを所定回数連打すると解説が進むといういささか信じられないインターフェースのモニター。
1962年登場。1978年までの16年の間に、649両が作られ、全国の無煙化(蒸気機関車からディーゼルに切り替えること)に貢献した。
DD54
1968年登場。DD51と時代は近しいが、騒音は大きいわ胡椒は多いわで大した増備もされず、分割民営化よりはるか前のはずなのに現在で言うJR西日本管内から広がることはなかった。
EF58
1946年登場。終戦直後に作られた電気機関車である。多くのブルートレインを牽引したほか、EF58-61はお召列車の機関車だったことでも有名。
コンテナ特急たから
1959年登場。今では当たり前だが、日本初のコンテナ貨物列車が「コンテナ特急宝」である。運行区間は汐留〜梅田だった。
踏切の非常停止ボタンの体験の近くにあった、マジの火災非常ボタン。マジの奴なので安直に押してはいけない。
500系新幹線と583系の並び。こういうあり得ない並びが見れるのは博物館ならでは。
電車は1階に展示されているが、写真の「パタパタ」や、模型・資料など細かいものは2階に展示されている。このパタパタはこっちで操作を体験できる。
屋上があり、東海道線や東海道新幹線などを見ることができる。鉄道博物館のこういうスペースは撮影地としての実用性はさておき、何だか楽しいですね。
梅小路機関区の転車台。円形に機関車を入れる車庫が特徴的で元々有名だったが、博物館の一部となることで、手軽に見学できるようになった。
梅小路機関区を間近に見ることもでき、踏切として渡ることもできる。ちなみにこの右側からSLに乗ることもできる。
博物館としてはある意味当然だが、機関区にある蒸気機関車はすべて展示品として間近で見ることが可能。
旧二条駅の駅舎がお土産屋を兼ねており、最後の最後に通り抜けて帰れるのも大変いい構成で大満足。17時の閉館時間ギリギリまでいてしまった。
17時ということで、夕飯にも早いし、あまりに早く宿に行くと宿泊費が上がってしまうし………ということで、近くの看板を見ると、「京都水族館」があるらしい。しかも、GWなので20時までやっているらしい。これは暇つぶせるぞ!行こう!
入館料が2200円と、京都鉄道博物館より1000円高かったので二の足を踏みかけたが、結果的に楽しかったし、少しバズれたのでヨシ!
イルカショーがあったので、優先的に見る。何となく見たことあると思ったが………京都という立地から結びついて思い出した!これ、ラヴィット!で見たことある!ミキの亜生がイルカと漫才していたところだ!というわけで、写真のどちらかのイルカは、亜生と漫才をやったことがあるイルカである。ちなみに、あまりきれいなイルカの写真がないのは、博物館で写真撮りまくったらストレージがいっぱいになって写真が撮れなくなったからです。すげえジャンプとかしていたのにね。
イルカショー終了後、いらない写真を消していざ残りを見に行くぞ!
ミノカサゴ、毒針と派手な見た目を同時に持つことで、逆に身を守ることができる「警戒色」を持つ魚の一つである。
ペンギンが羽いるのも京都水族館の特徴。恋仲にあるペンギンも多くいるらしく、イチャイチャしたペンギンもいる。
大変お盛んなペンギンもいる。
いやー、人目もはばからず…若いっていいですね。
アカクラゲやミズクラゲなど多くのクラゲがいるゾーンも綺麗でよかった。
京都水族館をあとにし、夕飯とする。夕飯は「京料理」にしたい!でも、京料理のコースは高い!そんななか、「京すいしん」といういい感じの店を見つけてしまった。
日本酒を頼むと、日本酒がピッチャーで登場。日本酒がピッチャーっていい言葉ですね。酸化しやすいような気もするけど。
京のおばんざい盛り合わせ。京料理かはともかくブロッコリーは酢味噌かけても美味しいということがわかった!ほかの品も丁寧に作られているのを感じる。また、湯葉がやはり美味しかったので、生湯葉の天ぷらを頼んだら、衣サクサク湯葉フワフワで最高だった。ほかにも、おぼろ豆腐や万願寺唐辛子を炒めたものなどを注文し、日本酒もアホほど飲んだ。その結果1食8000円台という恐るべき記録が出た。8000円て。快活4泊よ?会計を聞いたときは「ヘェッ!?」と奇声が出たが、レシートを見ると全部身に覚えがあるから不思議なものですね。
とにかく、京すいしん、とても美味しかったです。次回は、京のおばんざい盛り合わせをいっぱい頼んで、京のおばんざい盛り合わせを入れる平行四辺形の木箱と、おばんざいを入れる内角の大きさは等しいが辺の長さが違う正六角形もどきの器の限界を調べてみようと思います。
このあとは、明日の撮り鉄のために天王寺へ向かうことに。はるかがちょうどいい時刻だったので切符を買ったところ、何と時刻がちょうどよすぎて乗り遅れる。駅員に返金をお願いしてから、大阪乗り換えで天王寺へ。8000円も飲み食いしたにもかかわらず、〆の糖質を京すいしんで食べなかったため、天王寺名物かすうどんを食べてから快活CLUBにチェックインして鍵付完全個室でしっかり休んだ。
- 5月2日
天王寺の快活CLUBをチェックアウト。なお、この時の料金に関する記事がこちらなので、よかったら読んでみてください。
大阪阿部野橋駅を目指して歩き、河堀口まで乗る。ここで、近鉄の列車を撮影した。ちなみに先に言っておくと、方角を読み間違えたようで、すべて側面が陰になっている。
大阪阿部野橋と奈良県の吉野を結ぶ特急列車。展望席をつけているほか、デラックスシートとレギュラーシートに分かれており、どちらもゆりかご式シートを採用している。2011年のリニューアル前は葉桜色で、桜色ではなかった。
交響曲と書いてシンフォニーと読む、劇場版名探偵コナンシステムの近鉄特急。こちらも行先は吉野だが、2016年に生まれた新車であり、車内に奈良県の名産や地酒などが提供される食堂車がある。車体にアルファベットが書いてあることからわかるように、デザイナーは水戸岡鋭治である。
1963年に作られた近鉄では2種類目の片側4扉車。1963年ときたらもう60年近く前であるが、1983年から1987年にかけて車体を更新することによって、奈良線では主力車両の地位を維持している。
6620系
6800系や6000系の一部など1960年代の近鉄片側4扉初期車両を置き換えるために生まれた形式、それが6400系で、その4両版が6620系である。1984年登場ということで、アルミ合金の車体やVVVFが採用されている。
このあとは、大阪阿部野橋へ戻り、京橋で京阪に乗り換える。ここから、守口市で乗り換えて西三荘を目指すぞ!と意気込んで、ハトのマークの特急車に乗り込んだ。その結果、ハトのマークの特急車は守口市を通過し、枚方市に着いてしまった。元々あまり時間を取っていなかったのもあってもう京阪を諦め、次なる撮影地へ移動し、旅程の破壊を防ぐことにした。
ということで、新今宮へ移動し、南海を撮ることにした。南海のなんば~岸里玉出間は複々線となっており、新今宮駅はその途中にある。いや、厳密にいうと南海本線と南海高野線で完全に路線を2つやっちゃっているだけのことだと思うのだが………そうでないと、新今宮駅の先から見える今宮戎駅が「南海高野線のホームはあるが本線のホームはないので、高野線しか止まらない」なんてことにならないと思うのだが…。というわけで、新今宮で撮った写真がこちら。
泉北高速鉄道5000系
1990年に登場した列車。泉北高速鉄道とは、泉北ニュータウンの開発に伴い、1971年に営業開始した鉄道会社で、大阪府(など)が出資した鉄道会社である。中百舌鳥で南海高野線から分岐し、和泉中央へ向かう路線である。
南海7100系
1973年に南海電鉄が600Vから1500Vに昇圧したときに製造された列車。なぜそんな列車が令和の世に走っているのかは甚だ謎なのだが、関西私鉄ではよくあることである。近鉄6400系同様、1989年の更新工事を経てバリアフリー化などをなされて乗り切っている。当初は冷房すらなかったのに、である。
1985年に登場。南海本線の特急「サザン」のために作られた車両で、内装のグレードを高野線特急「こうや」と揃えるために生まれた。後ろのほうは通勤電車となっており、停車駅は特急同様だが、特急料金は不要というシステムは「サザン」の特徴である。
こちらも、南海10000系サザンだが、ヘッドマークにもある通り、2019年1月にHYDEが「和歌山ふるさと観光大使」となったのを受けて、2019年12月から運行開始。カッコイイ外観のみならず、内装もHYDEのサインやイラストなどが展示されている。なお、2022年5月31日で運行終了した模様。あぶね~!
先述の7100系などを置き換えるために2015年に登場した、南海電鉄きっての新車。写真は、高野線を走っているが、高野線に導入されたのは2019年からである。
南海9500系
1985年登場。南海本線用としては初のステンレス車である。2018年に台車もドアも座席も大方更新するという大胆なリニューアル工事がされた。
途中、一番撮りたかったラピートに限ってピントが合わないというトラブルに見舞われた。と、ここで、新今宮の攻略法を紹介したい。新今宮駅はなんば駅から1~2駅(こんなにややこしくなるのも、今宮戎が悪い)である。そして、なんば駅に留置線はない。ということで、新今宮駅に来るなんば行の列車はほどなくして帰ってくる。この「ほどなくして」を利用して先読みして本線のホームと高野線のホームを行き来すればよい。同時に撮りたいものが来た場合などには使えないし………そしてなにより、
それでも、2扉車がうっかり来てしまうことはあるが…。
南海11000系
1992年登場。「泉北ライナー」として泉北高速鉄道に乗り入れることも、高野線特急である「こうや」「りんかん」として使うこともできる車両である。30000系と異なり、貫通扉がある代わりに前面展望席がない。
南海50000系
関西国際空港へのアクセス特急である「ラピート」の専用車両として開発された電車。関西国際空港の開港と同時に運行開始し、南海の看板特急として、丸い窓や鉄人28号のような見た目など斬新なデザインは会議に会議を重ねたとか重ねなかったとか。
というわけで、特急も撮れたところで新今宮は撤収である。
ただ、そんなラピートだが、逆光のほうがカッコいいかもしれない。青色がよりシックな濃紺になるのと前面真ん中の金属部がギラっと光るのがカッコいい。こうやって撮りたいカットがどんどん増えていく。
このあとは、今津に移動。ここでは阪神電車を撮影。
1984年登場。1995年まで増備が続いたのち、阪神淡路大震災で被災したことによる廃車を補うために1996年に再度増備された。阪神初の6両固定編成で、阪神最大勢力となっている。
これが、残っていたカットでは一発目である。そう、今津についてから曇天になってしまったのである。ずーっといても、なお、このまま。せっかくだから撮るのみで消化試合である。……………と、思いきや、
5700系
2015年製造。阪神の各駅停車用の車両は「短い駅間」と「優等列車の多さ」から、加速減速ともに高性能である必要があり、「ジェットカー」と呼ばれる。なお、最高速度は110キロにとどまる。
晴れてきた。逆転勝ち。これだから撮り鉄はやめられねえ。撮り鉄はパチンコ競馬と同じかもしれません。パチンコやる人も台にデカい声出してるし。あ~、俺、今生きてるわ。そんな、阪神本線には山陽電鉄や近鉄の車両も乗り入れてくる。
1986年登場。阪神電鉄乗入れのために作られた車両であると同時に、国鉄民営化の対策として作られた。阪神梅田まで乗り入れる長距離運用に際して、クロスシートを採用している。
2001年登場。阪神側が直通特急として作った車両で、山陽5000系同様のクロスシート採用によって、JR線や山陽5000系とのサービス格差を埋めた。「阪神の車両でありながら読売ジャイアンツの色である」ということがある意味最大の特徴で、2001年の株主総会でも指摘があったという。
なお、先述の阪神8000系は2002年のリニューアルに際して読売巨人軍色となっており、株主の意見は取り入れられんかった模様。
近鉄5800系
1997年登場。この車両もまた長距離輸送に耐えうるクロスシートにしている………と思いきや、ラッシュ時にはロングシートにもなることで大量の旅客輸送にも適したL/Cシートが初めて採用された車両である。
と、まあ、流し撮りしたりしなかったりして楽しませていただいた。以下は、曇天の時しか来なかった列車たちである。
5001形
9820系
2001年登場。21世紀の列車として「人にやさしく地球にやさしく」と「コストダウン」を目標に作られたシリーズ21の一つであり、近鉄9020系の派生形である。9020系との違いは2両か6両か。
ギリギリまでジェットカーを粘ったが、日没。すでに前に光が回っていないわ、ビルの影は伸びるわ、な中で本当に粘り倒したが、それでも……………ということで今津から撤収。今津からは、阪急今津線に乗り込み、阪神国道駅へ。そして、「ラーメン荘これが好きだから」へ。初ラーメン荘!の予定だったが、今津で粘りすぎたのが祟ったのか、想定外の行列により断念。ということで、JRの西宮駅から京都駅まで移動し、明日の夕飯にする予定だった場所を繰り上げる。
ある場所への行き方を調べる。その場所は、奈良線で東福寺まで乗って、京阪に乗り換え、京阪の終点である出町柳駅から、叡山電鉄に乗って一乗寺に行く。こんなに乗り換えないとアカンか!?助けてくれ(←後々、助かります。これは伏線です)。叡山電鉄を降り、ホーム上でICカードをタッチしようとするが、一切「ピピッ」という音が鳴らない。大丈夫か!?(←大丈夫じゃないです。これも伏線です)と思いながら、一乗寺駅を後にした。夜道を歩き続け、着いたその場所とは………
天下一品総本店である。そう、あの天下一品の総本店である。私の住む千葉県には2020年1月には柏にできるまでなかったあの天下一品の総本店である。柏にできたあと、千葉県第二の店舗は野田店というとんでもなく偏った配置で出店したあの天下一品である。そんな天下一品の総本店には、「牛すじラーメン」と「豚丼」という総本店限定メニューがあるという。
そんなわけで、こちらが牛すじラーメンである。天下一品のスープは粘性が凄い。これを生かして牛すじを最初は混ぜずに、後は混ぜて食べる。牛すじの辛さと食感がまろやかな天下一品のスープとよく合う。やっぱり、天下一品のドロッとしたラーメンは唯一無二である。鶏ガラゆえの上品さも、どこかにあるんだよなあ…。
ちなみに、天下一品の総本店に行く途中に、来来亭の本店も見つけたので、こってりラーメンが京料理というのは正しいのかもしれません。
さて、この後、帰りであるが一乗寺駅まで夜道を歩き、一乗寺駅から叡山電鉄の終点である出町柳駅から京阪に乗って東福寺駅まで行ってそれから奈良線に行かないと京都駅へはたどり着けない。いや、京都駅は目的地ではないんですけどね!だからこそ余計タチが悪いんですけどね!しかし、天下一品総本店まで歩く途中に、この地獄から助かる方法は見つけている(←伏線回収)。というのも、天下一品総本店に面する大通りをバスが無限に通過している。そうだ、微妙に離れている私鉄のターミナルたちを結ぶのは京都市バスにほかならなかったのである!皆さんは、天下一品総本店へ行くときも京都市バスを使ってください。京都駅行のバスに乗り込み、途中の京都河原町で降りる。ここから、阪急に乗り込むのである。ということで、「阪急京都河原町駅」と大きく書かれたビルに向かって道を渡る。
と、思いきや、「向かいのビル地下1階」と書いてある。ん?向かいのビルに「向かいのビル地下1階」ということは、向かいのビルの向かいのビル………ということで、
自分がいる側に入口ありましたわ!灯台下暗しとはこのことである。で、駅へ向かい、改札にSuicaで入場しようとしたところ、「出場記録がありません」とメッセージが出て止められてしまう。有人改札へ言ってみると、原因は叡山電鉄一乗寺駅で出場記録をつけなかったこと(←伏線回収Part2)らしい。そのため、このSuicaを使えるようにするには、叡山電鉄の駅員に言って、叡山電鉄との間で手続きしないといけないらしい。完全な詰みです。本当にありがとうございました。まあ、このまま千葉に帰っていたらよけいに詰んでいたので、阪急で使う気になってよかったというものである。というわけで、ここからしばらく電子マネーを使えないキャッシュレスレス時代が到達したのであった。
西院駅という駅まで阪急に乗る。たかだか4駅程度だが、途中震度3くらいの地震で途中駅で立ち往生したり、たかだか4駅なのに切符を紛失して、京都河原町駅の駅員とインターホンで通話したりと意外と微妙にいろいろなことが起こり、この日の宿である快活CLUB西院駅前店に到着した。ここにタイトルを入力(足りない世界で愛を描く)をリアルタイムで見ようとしたら、ネットしていなかったので諦めて明石家電視台だけ見て寝ることにした。ネットしろよ。
- 5月3日
この日も5時台に起き、快活CLUBをチェックアウト。まず、歩いて西大路三条駅を目指し、嵐電を撮影する。
611形
1992年登場。大きな1枚窓が中心で縦に仕切られた「新嵐電スタイル」のはしりに当たる車両。車いすスペースやLED掲示板など1992年の技術や設備が採用されている。なお、ラッピング広告を見るまでもないことですが、現金を賭けてのポーカーは犯罪です。
モボ301形
1971年登場。嵐電では最も古い車両であると同時に、トロリーポールを搭載した車両でも最も古い車両である。実は2007年に廃車になる予定だったが、運用の増加を懸念された結果廃車にならずに済み、今に至っている。
少し場所を変えて撮影する。
モボ631形
1995年登場。モボ611形との違いは、台車のみ。
「路面区間がある路面電車なら、路面で撮りたい」というのと「路面区間は車がかぶって危ない」というのは両立する。やはり、撮り鉄って賭博なのでは?
このあと、阪急西院駅まで歩いて戻り、西京極駅で阪急を撮影した。
8300系
8400系ではなく8300系。1989年登場で、VVVFインバータ初導入であったり、大型窓に行先表示を収めるデザインであったり、カーテン不要の熱戦吸収ガラスであったり当時の流行や技術が採用されている。
7300系
これも、7400系ではない。1982年登場で、アルミ合金製の車体である。アルミ合金製の車両は全面塗装されず銀色になっていることも少なくないが、阪急はマルーン色と呼ばれる茶色の塗装を全面に施された車両が一貫して使われている。
1967年登場。前述の南海7100系ともども、池田勇人が所得を倍増させていた頃の車両であるが、別に1~2編成のレア車両というわけでもないのが恐ろしい。堺筋線との直通運転のために作られた車両である。
9300系
2003年登場。これまで全車クロスシートだった阪急の特急型において、初の3扉セミクロスシートが採用された車両。これは、利用客増加とそれに伴う停車駅の増加に対応したものである。
1300系
2014年登場。先述の9300系の進化系で、堺筋線への乗り入れをできるように作られている。そのため、車内は全車はロングシートとなっている。
「京とれいん雅洛」という愛称がついており、停車駅の量で言えば「特急」より少ない列車。2019年に既存の列車をリニューアルした車両で、一両ごとに四季折々の京都をイメージした内装になっている。
ちなみに、西京極で撮った写真は曇っているか、そうでなければ傾いていました最悪です。言い忘れましたが、読者の皆さんは首を右に傾けて見てください。
阪急の撮影終了後は、京都河原町まで戻ってバスで出町柳駅へ向かう。出町柳駅まで行くにはバスに限る。俺は二度同じミスはしない。ちなみに、なぜ出町柳駅へ向かっているのか?理由は簡単、昨日払わなかった叡山電鉄の電車賃を払うためである。駅員に申し付けると、自分の説明こそまごついたが、なんとか利子もなく払うことに成功。これで電子マネー詰み詰みライフから脱出である。このあと、二条駅を目指す。何を血迷ったか、出町柳から二条までの移動で、徒歩+地下鉄を選んでしまう。鴨川を横目に京都御園の裏側を歩くと、景色は良かったが、思った以上に暑くて遠い。めちゃくちゃ時間を食ってしまったが、今出川駅で地下鉄に乗り、二条駅に到着。山陰本線に乗り換えて、保津峡駅へ。ここでは、山陰本線と並走する嵯峨野観光鉄道を撮影するため、保津峡駅からトロッコ保津峡駅まで歩く。トンネルや木陰を抜けて、トロッコ保津峡駅に到着。
保津峡駅は本当に保津川の峡谷上にある。トロッコ保津峡駅は保津川の峡谷横にあり、トロッコよりも川下りの船の方が本数が多い。
嵯峨野観光鉄道DE10、SK200形
嵯峨野観光鉄道は、山陰本線が複線化かつ高速化するためにトンネルの多い線区になったのに対して、亀岡~嵯峨間の元の景色の良い部分を観光鉄道にすることで生まれた鉄道会社である。SK200形は他の客車ともども無蓋貨車の改造車である。
保津峡駅は山陰本線の駅としてみると、両側がトンネルなので撮影には極めて不向きな駅である。しかし、嵯峨野観光鉄道を撮るにあたってはめちゃくちゃ良い。手軽に撮れるし。
というわけで、保津峡はこれにて撤収。最後は、京都まで行ったら絶対行っており、このブログでも2、3回は行っている撮影地、島本へ行った。
ここは、京都~大阪にあって、多くの特急・貨物・新快速などが通過する場撮影地である。なお、特急はるかもここを通過するが、朝晩以外のはるかは運休となっていた。ラピートは通常通りだったのにな!何なんだ、この差は!
223系
1995年登場。0番台は関空快速用で、新快速に投入されているのは1000番台あるいは2000番台。今回の旅行でもお世話になっているが、最高時速130キロで数々の駅を通過する爽快感がクセになるし、実用的でもあるのが新快速である。オール転換クロスシートも特徴で、他の並行私鉄に差をつけている。
225系
2010年に登場した新型車両で、先述の223系の正統進化にあたる。大型ディスプレイや車いすスペース、0.5Mシステムなど、223系設計時にはなかった感覚が採用されている。
681系
1992年登場。「サンダーバード」として北陸本線を走るため、交直両用の特急型車両となっている。JR西日本初の最高速度130キロ運転を実現させた列車であり、160キロ運転をも想定された車両である。なお、この塗色は「しらさぎ」用のものである。
「桃太郎」という通称がついている、1996年登場の直流電気機関車。JR貨物が国鉄時代の機関車(EF65など)を置き換えるために生まれた機関車であるEF200をベースに、パワーが強すぎて変電所の電力供給問題を解決するために多少パワーを落としている。
ということで、島本では手短に撮影を終了。このあと、この旅行最後の晩餐として、わざわざ京都に戻ってわざわざはるかに乗ってわざわざ難波へ行く。難波ではあの、肉まんが旨いことで有名な、551蓬莱の本店がある。本店は、中華レストランとなっており、中華料理もなかなかイケる。
ここで、酢豚定食と肉まんを注文。肉まんは安定して美味い。チルドとかじゃないから生地はよりフワフワ感ある。酢豚定食は1500円とはいえ、酢豚定食の付け合わせとしてエビチリと八宝菜がついてくるというなかなかワイルドな定食。どれも、「街中華」という感じだが、何というか2-3まわり美味い。何なんだろうねこの味わいは。1500円の価値あり、ただ、微妙に駅から遠くて道が複雑なのと、店が混んでいたので帰りの新幹線が間に合うかヒヤヒヤさせられた。このあとは、なんば駅(not難波駅)から地下鉄御堂筋線で新大阪駅まで一本で行く。そして、新幹線で帰宅した。新幹線は混雑していたが、京都駅で空席ができた。しかし、N700系であって、N700系Aではないので充電ができず。これも、名古屋駅で解決。充電してから「ここにタイトルを入力」(足りない世界で愛を描く)を見る。面白いし、何よりよく思いつくと感心させられる箇所も多かった。「ペン」「シャワー」「お嬢様の車」などの縦軸の効果が凄い。あと「入学式・卒業式スーツ」の細かさもよかった。確か、ソウドリでこういう回あった気がする。
さて、新幹線は東京に到着。ここからはシークレットなルートで自宅に帰宅した。