「下手な歌手の歌より沁みる芸人の歌」があるから、お笑いはやめられない

2020年11月28日放送のゴッドタンを配信で見る。

 

 

この日の企画は「マジ歌オーディション」。普段はゴリゴリド深夜のバラエティであるゴッドタンが、年末年始になるとプライム帯と深夜の境目にやってくる。その時の企画が「マジ歌選手権」。芸人が歌ネタではなく、しっかりマジな歌を持ってくると言う企画なのだが……………

 

歌ネタではない、とは言いながらも歌詞で笑いを取っていく曲が多いのは事実で、そう考えると歌ネタではあるかもしれない。とはいえ、この日の出演者は、マセキ公式チャンネルのコントより、個人チャンネルの歌の上手さがバズっているパーパーのほしのディスコを筆頭に、歌唱力はしっかり高い芸人ばかり。そんで、歌詞はこの記事のタイトル通り、「下手な歌手の歌より沁みる」のである。そんなわけがない、と思うかもしれないが、そんなわけはある。ものの例えとかでもなく、沁みる。なぜか。理由は二つある。

 

一つは、「業の肯定」ということである。業の肯定、とは立川談志が落語のことを評した言葉である。業とは、人間のズレ、間違い、悪意といったものであり、その存在を認知させるものが、落語(お笑い全般でもある)ということである………というか、要は「共感」のことと、個人的には解釈している。

 

そういう点でいうと、トップバッターのヒコロヒーの歌は秀逸だった。自身についてくる厄介な出待ちのおっさんが「ニッチェは神対応」などと、ニッチェを引き合いに出してくることに気付いてしまい、「ニッチェさんのせいだよ」と半ば八つ当たり気味に結論づけるこの歌は、優しさが時にどこかで人を傷つけるという人間の業を肯定したマジな名曲ではないかと思う。

 

その後も、義兄がとんでもない有名人になってしまった芸人の情けなさをヒップホップにしたオッパショ石、ヤバいTVスタッフのヤバさを歌うだけのラランドサーヤ、相方との不仲を歌にしたパーパーほしのと、いずれも「俺の靴下あいつのお下がり」「EXITと同じマンションという変な自慢」「慣れてきたんだねクズなこの僕に嫌い続けることに飽きたのかな」と、いずれも感情の機微を、そして「業」を汲んだ名曲揃い。しかし、これだけで芸人の歌を「下手な歌手より沁みる」と言い切るのはさすがに本職に失礼であり………

 

というわけで、お笑いが歌手に勝る点がもう一点ある。それは、お笑いの「何でもアリ」さである。今や、お笑いにもコンプライアンスの波が押し寄せていると言われているが、それでも、こうして歌手のマジ歌と芸人のマジ歌を並べると、お笑いはまだまだ自由がある。「廊下で霜降りとベタベタ(中略)フワちゃんと仲良いアピール見せつけられるのキツい」などと、無限に裏方に悪態をつき続ける曲を出せる歌手がいるか?「コンビを組んだ時は女として見てた」と、相方への大セクハラを自首できる歌手がいるか?そんな曲をメジャー歌手がリリースしたら、大騒ぎも大騒ぎだろう。特に、今や歌手もコンプライアンスの波が押し寄せ一やらかし一アウトだろうから。

 

お笑いというのは「笑い」さえあればいい、その手段は実質無限、そんな「何でもアリ」ぶりが、自分がお笑いが好きな理由だったなあ、と、芸人たちのマジ名曲を聴きながら改めて思い出した、そんな回でした。年末特番も楽しみです。