令和2年正月、あえて「人を傷つける笑い」を再発見する記事

あけましておめでとうございます、オルソンブログの管理人でお馴染み、オルソンです。

 

今回の年末年始もお笑い特番ネタ特番が多く、お笑いのある世界に生まれてよかったと思う今日この頃ですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?私は「新春!千鳥ちゃん!」という番組を見て腹を爆発させていました。

新春!千鳥ちゃん 酔いどれお笑い王&毒出しタクシー 2019/12/31放送分 #GYAO https://gyao.yahoo.co.jp/episode/%E6%96%B0%E6%98%A5%EF%BC%81%E5%8D%83%E9%B3%A5%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%80%80%E9%85%94%E3%81%84%E3%81%A9%E3%82%8C%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E7%8E%8B%EF%BC%86%E6%AF%92%E5%87%BA%E3%81%97%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%202019%2F12%2F31%E6%94%BE%E9%80%81%E5%88%86/5e0ae150-ada2-45c3-9c01-7a79efa55c6b

この番組は、佐久間P*1が宣伝していることや、「千鳥ちゃん」という番組名から、わかる人にはわかるように「キングちゃん」の後継番組である。実際、「澤部嘆かせ王」*2や、「それが〇〇だったんです」*3などはキングちゃんの既存企画である。この番組の中に「酔っ払いの主張」という新規企画があった。

この企画は、「飲み屋で楽しく飲んでいる時に一人が突然机を叩いて、大声で愚痴を言う」よいう映画の導入でよくある奴を飲み屋でやってみると言うもの。そのなかで、出演者であるピース又吉の愚痴がこちら…

又吉「僕が小説を書いた時にぃ…ある大学教授が『又吉は文学っぽいことやってるだけ、3年で消える』って言うたんですよ。そいつがちょーっどそれ言うた3年後にぃ…セクハラで大学をクビになりました!フリがしっかりしすぎ!」

このエピソードトーク自体は本人も言う通りあまりに仕上がり過ぎているのだが、こうなってくると「又吉の悪口を言ってクビになった大学教授って誰?」と言う角度で調べる者、あるいはその答えをもう知っている者が現れる。

又吉直樹渡部直巳 https://blog.goo.ne.jp/tama-4649/e/4d95759466404b0a5e0c32371a3a2d62

教授の名前は記事タイトルにもなっているがそれはまた別の話として。この記事によると又吉はこのエピソードをえらく気に入ってしまったようで、新聞の連載小説中に「架空のお笑いコンビ『ポーズ』の影島道夫が一番笑ったエピソード」として載せてしまったようだ。しかも、この小説には影島の心境(言うまでもないが又吉の心境だろう)まで載せてしまったようだ。それがこちら。

「最初、僕*4はおもわず笑ってしまいましたが、その行為自体は全くおもしろくないんです。しかも、生徒に対して『俺の女になれ』って言ったらしいんですよ。」

………又吉の愚痴をスマホで見て笑っていた時には想像もつかなかったことだが、クビになった大学教授のセクハラには被害者がいる。セクハラで笑いを取るという令和の世にはあまりにも相応しくない人を傷つけるお笑いでした、残念無念。………………なーんて、又吉の出来上がり過ぎた漫談を斬り捨てるのはあまりに惜しいと思わないんですか?というのが今回の記事の本題なのである。

お笑いの評価軸に「人を傷つけるか傷つけないか」が現れたのはほんのここ数年程度の流れであるように思うが、その流れが現れる前から「お笑いのイジリとイジメは本質的には一緒」という持論を持つ芸人は少なくなかったようである*5。そもそも、お笑いの評価軸は名前の通り「笑えるか?」の一本で十分である。もちろん、「笑えるか?」という軸が人によって千差万別で曖昧なものであることは間違いないが、あるお笑いの評価が、他者を傷つけうるからという理由で不当に下がったり人を傷つけないというだけで不当に上がったりしてはいけないと思う。しかし、人を傷つけたら面白いということもないのは事実。そこへの慎重さが今まで以上に必要である時代なのもまた間違いない事実である。ちなみに、人を傷つけたら面白い世界線ではR-1ぐらんぷりでは毎年強盗殺人犯か放火犯が優勝し続けているらしいです。

というわけで、今回の又吉のエピソードも、オチこそ「セクハラ」であるが、「大学教授とあろう方がセクハラ」、「芥川賞作家に偉そうな講釈を垂れた方がセクハラ」、「『あいつは消える』と言った方が先に消える」などフリ→オチがストレートかつ強固に決まっているという点で万人にウケるべきお笑いであるはずだ。

というわけで、私は「人を傷つける奴の面白さ」という概念の発見に至った。いや、実際はもっと前に至っていたが、又吉のエピソードやそれに関する先述の記事での記述があまりにもわかりやすく可視化している。

「人を傷つける奴の面白さ」というのは、一言で言うとやってはいけないというフリのある中で、やってはいけないことをやること、である。例えば、「母親のことをメシって呼びまくる」とかね。何であのコント炎上したんだ。3年近く経った今でもわからん、誰か教えてくれ。

「やってはいけないことを一般的に真面目なイメージのある人がやる」、これは絶対面白いでしょう!お笑いとは業の肯定*6という言葉もあるので、この認識は間違っていないと思う。そういう意味で大学教授のセクハラは間違いなく面白い。そして、又吉自身もまた、先述の記事で大学教授の業を肯定していく。

最初、僕はおもわず笑ってしまいましたが、その行為自体は全くおもしろくないんです。しかも、生徒に対して『俺の女になれ』って言ったらしいんですよ。そんな言葉はこの世界にないんです。言葉を並べると、そういう意味にはなるんですが、作りものなんです。でも、そのじいさんは実際に使った。なぜ、そんなことになるのか。『俺の女になれ』とじいさんに言わせたのは、『俺の読み方で読め』という傲慢な態度が許され続けてきたことの蓄積なんです。それがまかり通ってきたから、本人は問題を理解できていないと思います。そのスタンスさえも不良という言葉を誤用して許そうとする連中もいるでしょ。喧嘩したことがない集団が悪ぶるとこういう事態が起こりやすい。僕が近くにいたら、この恰好つけたじいさんをしばき倒してあげたんですけどね。いてなかったからな。

この文章には影島あるいは又吉の気持ちの機微を映し出す文学としての側面を保ってはいるが、同時にここまで大学教授をけちょんけちょんにこき下ろし返していたり、セクハラという業が発生する大学教授の感情のメカニズムを丁寧に描いたり、「業を肯定している」という角度で見ると非常に面白いものでもある。ここまで読んでいただければもうわかるだろう。誰がなんと言おうと、又吉のエピソードはセクハラがオチだから面白い、ということが。

ここでセクハラ自体を面白いと解釈する輩が出てきたのが悲しいところである。側から見たら面白いことはあっても、セクハラされる側が面白いっていうのが起こるのは、相当な信頼関係なしには無理でしょうよ!これを見て「相当な信頼関係があればセクハラしてもセーフ」と思うのは、大きな落とし穴で、信頼関係があるかどうかというのを測るのは相当難しいので、かなりハイリスクなお笑いであることを考えなくてはならない。そこまで考えて、セクハラでウケれると踏んだらセクハラ笑いをすればいいと思う。

 

 

……………ちなみに、私が昨年一番面白いと思ったニュース映像は神戸市の小学生教師がカレーを目に塗って「やったー!勝ったー!もらったー!」と叫んでいる映像です。聖職ともあろう教師が人の目にカレーを塗るという愚行で喜び、人として大事なものをたくさん失い、人として負け続けながら「勝ったー!もらったー!」と叫ぶ、反則的に面白い。めちゃくちゃ反省しろ。

(おしまい)

 

 

*1:テレ東の社員。ゴッドタンというお笑い番組のプロデューサーとして知られるほか、なぜか昨年オールナイトニッポンのパーソナリティとなった

*2:何も知らないハライチ澤部をMCとして呼び、他の芸人が「澤部がMCの番組をめちゃくちゃにして澤部を嘆かせよう」というドッキリ的な企画。

*3:〇〇にどんな芸能人が入るかは話している本人すら不明なまま、「それが〇〇だったんです」というオチの嘘エピソードを披露する企画

*4:ポーズ影島、あるいはピース又吉

*5:少なくとも太田光の場合は「相手が楽しんでいるかどうかという差はある」とも言っており、ここでいう「本質的には一緒」とは「行為として差がない」という意味合いである、と考えられる

*6:ここでいう肯定は、許すということではなく、存在を認識するということ