グローバルな視野で見たら囲碁将棋派よりZEEBRA派の方が多いという事実

どうも、こんばんは、オルソンです。

 

本日、12月2日はM-1グランプリ2018の決勝戦があった。そしてある芸人が優勝した(ネタバレ回避とM-1前執筆による修正負担の軽減)。そんなこの日は、M-1グランプリ三回戦と準々決勝のGYAO!無料配信終了日でもあった。この記事で注目したいのは決勝…ではなく準々決勝敗退した「囲碁将棋」というコンビの漫才である。

囲碁将棋、はTHE MANZAI2011・2014決勝進出だが、M-1の決勝には一度も進出していない。準決勝まで来た年もあったが、今年は何と準々決勝で敗退してしまった。その時の漫才の一部書き起こしがこちら。

根建「僕ら高校からのね同級生でコンビ組んでるんですけど、なので中学時代のこととかあまりよく知らないんですよね」

文田「確かにお互いのこと知らないね」

根建「で、中学時代お前勉強とかできたの?」

文田「そんなに勉強するタイプじゃなかったんですよ、言ったらね教科書持ってくタイプじゃなかったですし」

根建「あ、じゃあ教科書とか持って帰るタイプじゃなかったんだ」

文田「そう、教科書なら入れっぱなしにしてきた机に」

根建「だいたいそうですよね」

文田「だいたいそうなんですよね〜」

根建「あれ?ちょっと待って?お前今さ、鞄なら置きっ放しにしてきた高校に、みたいに言わなかった?」

文田「ごめん?どういうこと?」

根建「今何て言った?」

文田「教科書なら、入れっぱなしにしてきた、机に」

根建「カバンなら置きっ放しにしてきた高校に、みたいにいうな!」

文田「だから、それ何だよ!?」

根建「Dragon AshのGrateful daysでZeebraが歌ってたじゃねえかよ!」

この後も、根建と文田がお互いに「カバンなら置きっ放しにしてきた高校に、みたいに言うな!」と突っかかるWボケWツッコミスタイルで漫才が進んでいく。だんだん「カバンなら置きっ放しにしてきた高校に」から遠い言葉に突っかかるようにしたり、Grateful daysの別の歌詞のボケを足したり、終盤にヒートアップした2人による畳み掛けがあったりと、M-1用賞レース用の仕上がりを感じ、原曲を知らずともそこそこ笑えるようになってはいるが、主軸は「Grateful days」、それも中盤まではたった一節の歌詞、というイカレた漫才である。そら、準決勝進出厳しいって!面白いけど!なお、余談だがGrateful daysの歌詞を主軸にしているのに、「俺は東京生まれヒップホップ育ち 悪そうな奴は大体友達」は出てこない。そういうところも囲碁将棋らしいイカレ方だ。

さて、この漫才の主軸である「カバンなら置きっ放しにしてきた高校に」は、単体で見た場合、めちゃくちゃ面白い、大爆笑間違いなし、とまではならないが、確かに引っかかりを感じるワードではなる。なぜ、引っかかるのか?多くの日本人はもう分かっているだろう、語順だ。「カバンなら高校に置きっ放しにしてきた」なら、置き勉してるな、以上の引っかかりはない。まあ、この部分はラップパートなので、韻を踏むことを優先した語順なのだろう。韻を踏むことを優先した語順でも意味自体は伝わる自由度は日本語の素晴らしさと言える。それでも、やっぱり引っかかる人は引っかかるけど。

さて、ここで下画像の英語を訳してみよう。

f:id:EF_510_514:20181205114206j:image

パソコンやスマホ自体が画像を読めないということがなければ中学1年生レベルの平易な英語である。「わたしは学校へ行く」が正解だ。ところで、上の文を単語ごとに分けると

f:id:EF_510_514:20181205114212j:image

「私は行く学校へ」となる。英語は基本的に「主語→動詞→目的語や修飾語」の順で構成される。この形は文型と呼ばれ、高校1年生になれば習うSVOだの、SVOCだの、と詳しくやることになる。日本語と英語は語順が異なるし、語順のルールも堅いのだ。

f:id:EF_510_514:20181205114232j:image

さて、上画像の英文はどうやって訳すか?わからない人は先ほど同様スラッシュを入れてみよう。こうなるはずだ。

f:id:EF_510_514:20181205114243j:image

というわけで、アメリカやイギリスなどでは「カバンなら置きっ放しにしてきた高校に」の語順がスタンダードであることがわかっただろうか?

さらに、高校には「漢文」という科目もある。漢文というのは簡単にいうと古い中国語である。そんな漢文にはレ点や一二点というものがある(下画像参照)

f:id:EF_510_514:20181205114254j:image

レ点や一二点は読む順番を指示するために文章の横に添えられるが、なぜ最初から正しい順番で書かないのかというと簡単なことで、中国語と日本語は語順が違うからだ。中国語と日本語で語順が異なる名残は、「書を読む」という意味の二字熟語である「読書」や、「下に落ちる」という意味の二字熟語である「落下」を含め、多くの二字熟語に残っている(下画像参照)。

f:id:EF_510_514:20181205114303j:image

この「我読書」を見て、ピンとくる人はくるだろう。そう、中国語も「主語→動詞→目的語や修飾語」なのだ。そして、日本語の語順である「主語→目的語や修飾語→動詞」に戻すためにレ点があるが、「我読孔子書」のように、目的語や修飾語が一文字で収まらない時は一二点を使う(下画像参照)。

f:id:EF_510_514:20181205114314j:image

というわけで、「鞄なら高校に置きっ放しにしてきた」を漢文化すると多分こうなる(下画像参照)。

f:id:EF_510_514:20181205114341j:image

以上から、中国語においても「鞄なら置きっ放しにしてきた高校に」がスタンダードであることがわかっただろう。そうであれば、アメリカ人と中国人にとって「鞄なら置きっ放しにしてきた高校に」は普通の語順であることがわかる。そして、中国の人口は14億人、アメリカの人口は3億人、世界の人口は73億人なので、73億人中17億人にとっては、つまり世界の23%にとっては「鞄なら置きっ放しにしてきた高校に」こそが普通なのである。それなのに、囲碁将棋は日本語の語順こそが正しいと信じて疑わず、他国語を糾弾する。この行為は人種差別ではないだろうか?日本人は古来より 国際的な視野を広げることが苦手で「日本人さえ笑えれば良い」という排他的な態度がうかがえる。しかし、2020年には東京五輪が、2025年には大阪万博が控えている。このような状況で日本は海外からのお客様を受け入れられるのだろうか?何かしらならないだろうか、問題に。

(おしまい)