女芸人に関する話

 みなさんは「女芸人」という単語をご存知だろうか?ご存知じゃないとしても大概意味はわかるだろう。そう、「女芸人」とは「女の芸人」である。次に「山ガール」、「リケジョ」、「餃子女子」という単語の意味はご存知だろうか?ご存知じゃないとしても大概意味はわかるだろう。そう、それぞれ「山登りするガール」、「理系の女子」、「餃子が好きな女子」である。意味がわかったところである異変に気づくだろう。そう山登りする女だって、理系の女だって、餃子が好きな女だってそらいくらでもおるやろということである。男女平等が叫ばれる昨今の日本において、「餃子が好きな女子を『餃子女子』とくくるのは、どこかに(女なのに餃子が好きなんて…)というジェンダー的なアレがあるのでは?」と思われるのは致し方ないことであり、餃子女子なんてくくりは取っ払って、餃子が好きな男ともども「餃子が好きな人」とでもくくれば良いのではないか?という考えが出るのも致し方ないことである。いいじゃん「餃子が好きな人」。餃子大好き芸人としてアメトーークにでも呼ばれればいいと思う。

 さて、ここで冒頭の「女芸人」という単語を見返してみる。この単語にも当然、女の芸人だっておるやろ、とか、女が芸人になって何が悪い、とか叫ぶ人が現れても良い。というか多分俺の知らないところですでに現れてるだろ。しかし、昨今、「女芸人」というのは男芸人とは違う、あまりにも特殊な職業になってしまったと思う。どういうことか?具体的に女芸人の仕事を知りたかったら、例えば「イッテQ 温泉」Youtubeで検索して出てくるであろう違法アップロードの動画でも見ればいいと思うが、一応書いておこう。女芸人の主だたる仕事は

・体を張る

・時に裸体を出したり出さなかったりする

・ブスぶりを凄いイジられる

・どこかにいそうな女性をあるあるネタ的に演じる

・恋愛や結婚をしたいけどできない感を出したり、たまの恋愛や結婚をめちゃくちゃ話題にしまくる。

などである。かの松本人志は、自身のラジオ「放送室」の中で「女性が芸人になるのは難しい、面白いことをするには女を捨てないといけない」というような発言をしたという…遺書(松本人志の著書)でも似たようなこと書いてるんじゃなかったかな?しかし、当時の松本人志自身も読み切れなかったであろうことは同じ面白い行動をやっているのでも、「女を捨てて」という要素が乗っかるとフリが大きくなるぶん爆発力が大きくなるという事実である。もっと言えば女なのに女を捨てているというのはそれでもう一つのボケですらある。ところが、この「女を捨てる」という単語こそが曲者である。というのも、女を捨てるという表現自体、「女」に何かしらのステレオタイプのイメージがあるから作られる表現である。例えば、「髪の毛が長い」はずの「女」が丸刈りになる、「おしとやか」なはずの「女」が熱湯風呂なんかに入ってリアクションを取る、「可愛い」はずの「女」の顔が角野卓造に似ている。こう言ったところに女を捨てるという行為とそれに伴う笑いが生まれる。上記で長々書いた女芸人の仕事を一言でまとめると「女を捨てる」というところにつながる。しかし、一番下の項目は「それまで女芸人として女を捨てていたはずの人が女になる」というボケで笑いを取っている部分である。これが「女芸人」の仕事に今現れている捻れである。

さて、ここまでの話を一回まとめたうえで、はっきりと断言する。2017年において、女芸人は女を捨てさえすれば、男芸人より楽に売れることができる、と。最近芸人というのはどんどん数が増えており、全体のレベルは上がっていても、頭一つ抜きん出て売れるのは難しく、M-1キングオブコントの決勝にたかだか1回進出したくらいでTVにバンバン出て爆売れすると思ったら大間違いというのが現状である。さらに、ハライチの澤部じゃない方とか、フットボールアワーの後藤じゃない方とか、コンビやトリオでは平場で使いやすそうな方だけ出して、相方は切って出演させるということも少なくなくなってきた。早い話が若手も中堅も少ないパイを取り合いに取り合いを重ねた状況が今の芸人界である。しかし、しかしである。女芸人はというと、中堅は森三中がいるなか、若手でもハリセンボンに始まり渡辺直美、フォーリンラブバービー、たんぽぽ、ニッチェ、横澤夏子相席スタート山崎、尼神インター、ゆりやんレトリィバァブルゾンちえみ…とパイが無限に大きくなる状態が発生している。それでいて平場での立ち回りは上記の通り似たりよったりなのだからたまらない。この現状がずーっと続くのであれば、女芸人は先人の模倣をしていればずーっと売れる。それこそ、かの松本人志が、リンカーンの朝までそれ正解というコーナーで「お、で始まる芸人として大事なものは?」という問いで「オリジナリティー」と答えていたのに、この現状はおかしい。もっと色んなものが女芸人に求められても良いのではないか?いわゆる形態模写ネタだけでなくゴリッゴリに独創的なボケで笑わせる女芸人がいても良いのではないか?もっと斬新な設定や発想が生み出す斬新な漫才やコントをする女芸人がいても良いのではないか?話術が鋭く光り、すべらない話の常連となる女芸人が出てきても良いのではないか?私はそう思う。しかし、そんな女芸人は現れなかった。現れなかったのである。これは私自身もそう考えていたのだが、こんなにも現れないと、女芸人はブスイジられとあるあるネタしかできないのではないか?と思うのも無理はない。が、実はそんなことはないのである。嘘だと思うなら「黒沢かずこ 七変化」とYoutubeで検索して出てくる違法アップロードの動画を是非見て欲しい。少なくとも、黒沢かずこはもっと面白いことができる人である。他にも上で挙げた芸人の中にだってもっとあるあるネタだとかブスをイジられるだとか以外にもっともっと面白いことができる人たちがいる。しかし、それがTVに出ることはほとんどなく、あらゆる女性の芸人は「女芸人」という型にハメられた状態でTVに出ているのだ。つまり「女性だって芸人になれるし、TVに出て売れることができる!」という状況になった日本の行く末は「女性だって芸人になれる!という状況そのものが作った『女芸人』という型に、女性の芸人がハメられていく、『女芸人』の生産工場の稼働」だったのである。別に「女を捨てる」ということが面白くないとか不快だとかそういうことを言いたいのではない。ただ、そればっかりだと飽きるよ?てか俺はもう飽きてるよ!ということが言いたいのである。…何とか……何とかならんかねえ…。

 (おしまい)