えー、こんばんは、オルソンです。
昨日11月15日の23時30分ごろ、つまりつい先ほどM-1グランプリ2017の決勝進出者が発表された。弊ブログでも予想を立ててみた*1が、まあAマッソとか囲碁将棋とかは個人的に好きだから入れたってだけなんでまあ止むなしってと言ったところかな。とろサーモンは嬉しいのと、ミキ、さや香はかなり意外。でも一番意外なのはスーパーマラドーナの不在かな。まあ10組予想したんで、今は正解率5/10でも当日6/10になってるかも分からん。なったから何だ。
いやー、しかし時が経つのは早いですなあ。つい10月にキングオブコントの決勝で2017年のコントの日本一が決まったと思いきや、もう2017年の漫才の日本一が決まろうと言うんですからねえ。時間の経過というのは恐ろしい…。
え?漫才とコントの違いって何?そうだよねえ、学校で教わらんもんねえ。しかし、電車と気動車の違い*2とか唐揚げと竜田揚げの違い*3とかだったら一言で終わるのだが、漫才とコントの違いに関してはちょっと一筋縄では行かないので長々と解説してみようと思う。
まず、コントは「劇」と境界線がない。「面白いかどうか」というのが分かりやすい線引きだが、コメディや喜劇、と言った単語がややこしくしている。ついでに言うとTVに出ていないだけで面白くないコントをする芸人も多数養成所などに眠っているわけで…とにかく「面白いかどうか」という定義は万能ではない。そのため、コントと劇の境界線は「ニュアンス」以外特にないというのが実態である。さて、乱暴に言えばコントと同義である「劇」の定義とは何か?デジタル大辞泉によると「 脚本中の役を動作とせりふで演じながら筋書きに従って場面を進行させていくもの。」だそうだ。つまりコントには役があり、脚本(筋書きともいう)がある。つまり、「コンビニ店員と客」という設定のコントでコンビニ店員役を務める人は実際にはコンビニ店員ではなく芸人だし、脚本があるということはこの後どんな客が来て何をするかを知っている。というか、客もとい客役の人がコンビニと設定された舞台上で何をするかという筋書きが決められている。
というわけで、コントには脚本と役があるが漫才はどうか?実は漫才には脚本も役もない。つまり、「コンビニ店員のコントをする芸人」として舞台に立っている人の職業は「コンビニ店員ではないが、コンビニ店員の役を持っている芸人」である。しかし、漫才というのは芸人が芸人のままやってくる。そして脚本もなく素の状態のまま面白い話をして帰って行く……………………はずがない。
そう、元々の漫才は「舞台上で立ち話して客が笑って終わり!」だったのだが、今の漫才は台本を練りに練っているし、裏でめっちゃ練習している。そして、練りに練っているからこそトータルテンボスやスーパーマラドーナのように「伏線」や「被せ」などのテクニックを用いたり、NON STYLEやウーマンラッシュアワーのような高速の漫才ができるのである。そして、そのことを知らない人は少なくともお笑い好きにはいない。が、「漫才に脚本がない」という前提そのものは死んでいない。これは「遊園地のキャラクターは着ぐるみなんかではない」というのと同様で、暗黙の了解として生きているのである。
さて、漫才とコントの違いは説明し終えたのでいつでも記事はエンディングに行けるのだが、ここからは「コントには脚本があるが漫才には脚本がない」という状態によりコントにしか表現できないこと、漫才にしか表現できないことがあるという事実を具体例を交えて紹介していこうと思う。
コントと漫才の境界をややこしくしている概念といえば「漫才コント」である。漫才コントというのは、
A「実はね、憧れている職業がありまして、〇〇になりたいなーなんて思うんですけども」
B「ほうほう」
A「それで〇〇の練習したいから、俺〇〇やるからお前客やって」
と言ってそこからは〇〇と客、として役に入って行く漫才*4である。しかし、役に入って行っていても漫才なのでお互いがこの後どういう展開にするかは知らないし、もっというと上記の例でいうとBはAがやりたいということも知らないというテイで行なっている。するとできないことは何か。一番有名な制約は小道具を使えないことである。コントであれば、服がかかったハンガーが大量にかかった竿を置いておくことで服屋という演出ができる。しかし、漫才は服屋の話をするということを知らない(というテイ)で行うため、服屋の漫才コントでは小道具を用意できない(はずである)。そのため、服屋に行ったら面白い柄の服を勧められるというボケはコントではできるが漫才ではできない(完全にできない訳ではないがその方法は後述)。そのため、漫才コントでもコントでも「変な店員に対して客がツッコミを入れる」という形態に変化のないサンドウィッチマンは服屋でも眼鏡屋でも漫才ではなくコントを選んでいた。そして、変な服や変な眼鏡を勧めていた。また、サンドウィッチマンがM-1で優勝した時のネタである「宅配ピザ」も元々コントだったものに「世の中興奮すること色々ありますけどね、一番興奮するのは宅配ピザが遅れた時だね」「間違いないね」というやり取りを追加して強引に漫才コントにしたものだが、実はコントの時には最初のボケにしていた「富澤演じる宅配ピザの店員がピザを縦に持ってくる」というボケがM-1で披露した時にはカットされている。これはこのボケがパントマイムでは伝わりにくいため漫才では表現できないと考えたからだろう。
さて、面白いコントに対して序盤で役に入るということを客や相方に伝える操作をすれば、漫才コントになる訳ではないということは分かったと思うが、小道具以外にもう一つ制約がある。それは、過度に複雑な設定は漫才コントにできないということである。例えば、バイきんぐがキングオブコントで優勝した「自動車学校の卒業生が、先生にかなりの熱意を持って卒業生として会いにくる」という設定のコントは、掴みが小峠の「だってここ自動車学校だよ!」という叫びであることもあって、舞台に出てから役に入れば漫才でもできるというものではない。このコント以外にも漫才ではできないコントというのは多い。というより、近年のコントは、まず捻った設定を組んでそこから発展させるというのが多く、漫才との差別化に繋がっているように思う。
さて、前述の文章だと漫才は設定でもボケでも自由度が低い、と思う方も多いだろうがそんなことはない。漫才コントにしかできないボケや表現もあるのだ。
まず、漫才コントは店や小道具をパントマイムで表現する。そのため、パントマイムを逆手に取った叙述トリックができる。例えば
(ファーストフード店という設定の漫才コントで)
A「すいませーん」
B「はい、ご注文をどうぞ。」
A「えーと、チーズバーガーとポテトのM、あとシェイクのSお願いします」
B「それではしばらくお待ちください。」
A「(自動ドアを開ける仕草をしながら)ウィン!」
B「いや、まだ店に入ってなかったのかよ!入ってなかったとしたら今のやり取り何だったんだよ!」
これはコントにはできない。コントであればAは店の外でぶつくさうるさい奴として処理しなくてはならない。しかし、漫才では店の位置はパントマイムなので定める必要がない。つまりこれは、漫才コントがパントマイムであることを逆手に取ったテクニックの一つである。ちなみに先ほど「服屋の店員が変な服を勧めてくる、というボケはコントでしかできない」と書いたが、これも叙述トリックによって処理できる。
(コントの場合)
客役「オススメの服とかありますか?」
店員役「そうですね、こちらの服なんかどうでしょう?(赤と白の縞々の服を広げる)」
客役「嫌だよ!俺はウォーリーか!もしくは楳図かずおか!」
(漫才コントの場合)
客役「オススメの服とかありますか?」
店員役「そうですね、こちらの服なんかどうでしょう?(服を広げるパントマイム)」
客役「(服を当てるパントマイムをしながら)なるほど〜、サイズはピッタリですねえ…。ところでこれ、どういうデザインですか?」
店員役「赤と白のストライプです」
客役「なんちゅう服勧めてんだよ!俺はウォーリーか!もしくは楳図かずおか!」
実は下記の方が客の想像を煽ることで笑いを増幅させることができる。一方上記の方は口頭では説明しきれないような服でボケられるという自由度の高さがある。
他にも、コントにはできないが漫才にはできることとして役割の転換、がある。コントでは通常、コント開始時にコンビニ店員役だった人はコントが終わるまでコンビニ店員を演じ続ける。一人多役のコントもなくはないが、わかりにくくなるので一人一役で入れ替わらないのが普通だ。しかし、漫才コントでは…
(コンビニ店員と客の設定でAが店員として延々ボケる)
B「お前、全然コンビニの店員できてねえじゃねえか!」
A「お前の客が良くないんだよ」
B「じゃあ俺が店員として見本見せてやるから、お前客として来いよ」
A「分かったよ」
(以下、Aがコンビニの客という設定で延々ボケる)
このやり取りを挟むだけで、店員と客を交代できるため、店員がボケのパターンのコンビニの漫才コントと客がボケのパターンのコンビニの漫才コントの2本立てにできるのである。このように一旦コントから出たり、時にはコントから出ずにスライドしたりして、役割を変えることができるのがコントはない漫才の特色である。M-1グランプリ2015でさらば青春の光が演じていた「結婚の挨拶」という漫才コントはこの特色がフルに活かされていたので是非見て欲しい。また、漫才コントの特色である「パントマイムによる叙述トリック」、「場面転換の容易さ」の2つをフルに活かしていたのがM-1グランプリ2016で和牛が演じた「ドライブデート」の漫才コントである。叙述トリック的なボケがあったのもそうだが、ドライブデートというめまぐるしく車で移動する設定はコントより漫才コントの方が見せやすかったはずだ。
さて、漫才にしか表現できない…というより漫才を行う長所として漫才は形が決まっている、というのがある。ここから出る長所は2つだ。
1つは形が決まっている、と言うことは壊しに行ける、ということだ。南海キャンディーズがよくやるのだが、漫才はセンターマイクの前で立ち話、というイメージの刷り込みがあるからこそセンターマイクから離れて大きく動くと、コント以上に「動きの笑い」が増幅される。他にもM-1グランプリ2005でチュートリアルは徳井が「バーベキューに異常にうるさい男」というキャラを演じ、変なキャラを出すというコントではありふれていた手法を漫才に持ち込むことに成功した。こういう、コント師がコントのロジックを漫才に持って来たしゃべくり漫才が今になって増えて来ているような気がする。このような形が決まっているからこその「破壊」もまた漫才の醍醐味の一つだ。
もう一つ、決まった形の破壊として、メタ漫才というのも近年よくある破壊の一つだ。 例えば、先述の
A「実はね、憧れている職業がありまして、〇〇になりたいなーなんて思うんですけども」
B「ほうほう」
A「それで〇〇の練習したいから、俺〇〇やるからお前客やって」
というやり取りから、アルコ&ピースは
酒井「忍者になって巻物を取りに行きたいな、と思っていて。かっこいいじゃないですか。今日やろうよ!俺忍者やるから、平子さんは城の門番やって!」
平子「じゃあお笑いやめろよ!」
酒井「え?」
平子「え、じゃねえよ!お笑いやめろよ!(中略)お笑いファンの間でも多少話題になるだろうよ!『アルコ&ピース解散するんだって』『え?じゃあこれからどうするの?』って。『わかんないけど平子さんは城の門番になって、酒井さんは忍者になって巻物を取りに行くらしいよ』………誰が惜しんでくれんだよ、そのイカれた解散をよぉ!(以下続く)」
という漫才を作った。このような漫才の「形」、「お約束」をイジった漫才は多い。例えばTHE MANZAI2014で和牛がやったネタは「頑張って行きましょう」という漫才での挨拶をイジったネタだし、他にも
(修学旅行の夜の会話という設定の漫才コントで)
佐々木「なあなあ、永沢、もう寝た?」
永沢「俺漫才中に寝ないよ?」
佐々木「分かってるよ!コントに入ったんだよ!大体わかんだろ!」
(THE MANZAI2011の磁石のネタより抜粋)
のような、コントの出入りに注目したメタネタも多い*5。
総括すると、「パントマイムによる表現」、「場面や役の柔軟な転換」、「はっきりとした形の存在」など漫才独自の制約は多いが、それを逆手にとってコントのできない笑いを起こす手法もまた意外に多い、ということである。
(おしまい)